市川町役場勤務 |
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堀次 千春さん(経済情報学部/平成14年卒) |
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卒業後、市川町役場に就職し13年目になりました。市川町は兵庫県のほぼ中央に位置したハート型をしており、中央部を清流市川が流れ、その昔船渡しに十石舟が往来した緩やかな川面に田園と山並みが映り、「羅生門」や「七人の侍」など世界的にも認められているシナリオライターの第一人者である橋本忍氏も生まれ故郷・市川を偲ばれている『人、自然、歴史がきらめくまち』がキャッチフレーズの町です。 初年度は保健福祉センター配属で、保健師や看護師、栄養士に囲まれた職場だったので、専門用語が飛び交う中での業務に戸惑いを感じながらも、主に予防接種や献血、健診事務を担当しました。事務担当といっても住民との関わりが大きな職場で、パソコンに向かって仕事をするだけではありません。そのときに、「来所される方は、元気な方はもちろん、不安を抱え相談に来られる方もいるのだから、書類の書き方も大事だけど快く帰ってもらえるように対応するのが一番大切だ」と指導されました。日々の業務の中で、住民のために仕事をし、住民の思いや状況を真摯に受け止め、誠意を持って対応することを教わり、異動後もその気持ちを忘れず福祉業務に携わっております。 職に就き、仕事以外でも何かできることはないかと思っていたときに誘われたのが「市川町文化センターホールオペレータースタッフ」通称HOSでした。文化センターのひまわりホールは、町花であるひまわりの花びらをイメージした優しく素直な形をしたホールで、大きな感動や興奮がたくさん咲きますようにと願いがこめられたホールです。私はひまわりホールの裏方ボランティアとして参加するようになり、「ひまわりホールに足を運んでくれた方がまたこのホールに来たい、出演していただいた方がまたこの舞台に立ちたい」と思ってくれるようにおもてなしをしたい、というHOSの想いに感動し、また私もその一員になれたことを誇りに思っています。誰かのお役に立てることの大きな意味を仲間とともに感じられることに感謝しています。 また、2011年3月11日に起きた東日本大震災で、私にも何かできることはないかと思い東北にボランティアに行きました。初めはボランティアバスに申し込み、次回からは直接受け入れ先に車で通いました。震災後、初めて宮城県に着いたときは、ここに生活場所があったなんて想像もできないくらいぐちゃぐちゃな場所や、津波で何もなくなった土地を見て、ショックで涙が止まりませんでした。これからどうなるんだろうと不安を抱えているだろうに、それでも「来てくれてありがとう。」と言ってくれた方に、「また来ますね」と約束し、それから休みが取れるGWや夏休み、年末年始を利用して毎年行くことにしていました。3年がたち、現在私は1年間という期間ですが宮城県亘理郡山元町に派遣職員として配属されています。仕事内容は市川町のときと同じ介護保険関係の仕事です。直接復興に関係しているかどうかと考えると「はい、しています」とは即答できませんが、それでも山元町のみなさんのお役に立てるようがんばりたいと思います。 余談ですが、山元町役場には震災後落ち込んでばかりではいられない、何かしよう!と数名の職員が立ち上げたランニングクラブ「やまもとRC」があります。やまもとRCは全国から応援に来てくれた人に「やまもとがんばっているよ」と元気な姿を見せて恩返しをしたい、復興に向けて走り続けたいという想いで走っています。私も入部し、今年はやまもとRCメンバーとして走りたいと思います。 |
会報Vol.31(2014年8月) |